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雑記 アーカイブ

2005年08月20日

深浦8段のサイン獲得

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8/20に上大岡の京急百貨店で開催された「京急将棋まつり」に行きました。
「これより深浦康市8段のサイン会を始めます。売店で深浦8段の本を買われた方には、無料でサインして頂けます。」
買いましたとも。

深浦8段は、丁寧にゆっくり時間をかけて、筆でサインを書いてくださいました。
感激でした。
これまでも深浦8段は、棋風が天才肌で、落ち着いていて、格好良くて、ファン想いで結構好きでしたが、今日は純粋な誠実さが間近で感じられて、はっきり好きになりました。
今日から、谷川浩司9段の次に好きなプロ棋士は、深浦8段です。

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2005年08月22日

タイヤ交換したらアンバランスを感じるもの?

愛車CB400SFのタイヤを交換した。
なんかタイヤがグラグラになったような不安定さを感じる。
そんなもん?

2005年08月28日

本場四川料理の辛さ

辛いと評判の「陳麻婆豆腐」の麻婆豆腐を食べてきた。
1口目、構えてたせいかダメージ無し。
3口目、舌が痛みを覚える。ファイヤー!と言ってる場合では無かった。
1/5食して、完食できるか不安になる。
半分食して、辛さ以外の美味しさをようやく感じ始める。
完食して達成感あり。何らかの糸が切れ、燃え尽きるのを感じた。
なんとか完食して一休みしてると、デザートの水餃子(辛い)が来た。
最初の注文時に杏仁豆腐とのどちらかを選択するのであったが、杏仁豆腐を選択しなかったことを、後悔とはこういうことか、これぞthe後悔、と思ったほど後悔した。


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2005年09月04日

仙台旅行記

8/9-11に仙台、松島にバイクで旅行に行った。

ご存知の通り、松島と言えばペンギンである。
従って、マリンピア松島水族館ペンギンを観た。

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平和である。すばらしい。

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実にペンギンである。


西行戻しの松」という展望の良い名所に行って松島を眺めたのだが、その日はあいにくの小雨で、よく見えなかった。
西行は、この松の所で引き返したらしい。歌人である西行がここで子供に歌比べで負け、松島の歌人のレベルの高さを恐れて、恥をかくので松島から去ったという。松島は歌人が多かったのだろうか?
雄島に立ち寄った際、百人一首に「見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色が変わらず」という歌があるのを思い出した。これも松島の歌人が詠ったということなのだろうか。

青葉城址(仙台城址)に行った。
城は無かったが、CGで再現されていた。

ずんだシェイク食べた。うまかった。
ずんだ餅は気持ち悪かったので食べなかった。

牛タンを食べた。硬くて、あごが疲れた。
アメリカからの牛肉輸入の減少で、仙台の牛タンも質が落ちているのだろうか?

●宿
勾当台会館
繁華街のど真ん中にあり、安い割にかなりいい部屋だった。大満足。
●食
鰊御殿
「三色丼」を食べた。海の幸がとてもうまかった。
しゃりっこ
天ぷらそばを食べた。そばが絶品!価格もお手頃。近所にあったら毎日行ってしまいそうな店だ。
結構見つけにくい所にある。
・旨味太助
「味太助」という店に行きたかったが、見つけられなくて、似た名前のこの店に入った。
大工さんが集う居酒屋のような雰囲気で、ちょっと威圧感があった。
牛タンを食べたが、硬くて、味は大したことなく、値段はそこそこするので、イマイチだった。

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2005年11月27日

Is Akiba Burning?

久々に秋葉原に行ってきた。

前に行ったのは記憶に無いくらい前だが、随分様変わりしたと思った。
・駅の北西の出口(電気屋街口を右に出る方)がすごく綺麗になった
・駅の北東に巨大なヨドバシができてた(大阪駅の北出口にも作ったし、豪快なことするなあ)
・バンドやコスプレがいっぱいうろついてる
・ソフマップの勢力が縮小してる
・募金活動する怪しい団体が居ない
・吉野家ができてる

この「オタク」の聖地に出向いたことにより、個人的に1つ大きな収穫があった。
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「アキバはモエているか?」の英訳が、"Is Akiba Burning?"なのだ。
私の理解が間違っていなければ、この地においては、「モエ」とは知る人ぞ知る新語「萌え」のことであろう。
これまで、「萌え」の意味がよくわからなかったが、今日ついにその意味を理解した。
そう言えば昔、その道を極めると、「燃えるゴミ」は「萌えるゴミ」と表記するようになる、という話を聞いたことがある(オセロの松嶋も言ってた)が、実に辻褄が合う。

あまりの衝撃に、本来の目的を忘れ、衣料品とおもちゃ1つを買っただけで帰ってしまった。

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2005年12月11日

ジャパニーズイングリッシュの歴史的大傑作

戦後、日本国民がマッカーサーの選挙出馬を応援するために、こんな横断幕を掲げたという。
"We Play For MacArthur's Erection!"
どこが間違いかわかるだろうか。

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2006年01月07日

奇妙な論理

2005年大晦日に放送された「ビートたけしの恐怖の大予言SP」を観て思ったことを書き留めておく。
毎年大晦日に放送されるこの番組においては、超常現象肯定派と否定派が議論を交わすが、どちらかが降参することは無い。なぜなら、否定派の大槻教授を始めとするまともな科学者は全て科学的に完全に反論することができるし、肯定派は今の科学が完璧でないとして耳を貸さないからである。

視聴者の大半は、否定派の方が正しいことを言っており、肯定派は狂っていると判断すると思う。ここ数年は、司会者のビートたけしも否定派寄りの科学的な発言をしているので、視聴者が肯定派の疑似科学(非科学、科学の振りをした嘘っぱち)に騙されることも無いと信じたい。

今回の放送を見ていて、疑似科学の支持者の典型的な発言がまたあったので、サンプルとして、ここに記録しておく。「国際未知能力研究会代表」の秋山氏の発言である。

秋山氏「一言言わせてもらうけど、炭素14(年代測定法)に問題を投げかけている考古学者もたくさん居るんですよ。(嘲笑しながら)それは、この人達の言ってることがね、学者の代表意見だと思われることは全くおかしいということ。」
大槻教授「その炭素14に学会でケチを付けているというか、疑問に思ってる人は誰?」
秋山氏「その炭素14のサンプルを一体どこからどのように」
大槻教授「だから誰なの、言ってるのは、学会で」
秋山氏「だから、たくさん居ます!」
大槻教授「どこの大学の誰?」
吉村作治氏「・・・を言いなさい」
秋山氏「あなた方に言う必要はないですよ!あなた方は原理主義者なんですから!否定することを前提の元で話を・・・」
大槻教授「だからその学者は誰だと言ってる。これに答えなさいよ!」
秋山氏「だから調べてごらんなさいよと言ってる」
大槻教授「だから知らないから今ここで言って、って言ってるんだよ。俺知らないから、学会で。」
吉村氏「反論した人がそれを示さないといけないですよ」
秋山氏「またその人達も圧力かけられるでしょ?」
大槻教授「かけないよ!かけないから言って」
秋山氏「いいですか、今までの科学的論説っていうのはですね、時の権威者が・・・」
大槻教授「(立ち上がって手帳にペンをスタンバイさせて)いや、だから誰なの!?言ってよ!」
秋山氏「だから科学者は誰がお金出してるんですか。」
吉村氏「ごまかすな!」
大槻教授「ごまかすなよ~。だから炭素14に疑問を投げてる人は誰なの?」
秋山氏「だから調べてごらんなさいって。科学者でしょ?僕は科学者じゃない」
大槻教授「いないよ!」
吉村氏「科学者じゃないのに科学に口を出すな!」
秋山氏「それが科学者の役割だと言ってるんだ」
吉村氏「バカ。口出すな」
秋山氏「ウルトラバカ!口出すなお前こそ!ふざけるな!帰れ!」


愚かもここに極まれり、である。
無知は犯罪だと言われることがあるが、それは場合によりである。科学の世界で犯罪なのは、無知を認めないことだ。
賢明な皆様は何が愚かかわかると思う。
(1)「~と言ってる人はたくさんいる」「誰?」「あなたが調べなさい(知らないあなたが悪い)」
 こんな論法が許されるならその場は嘘でも何でも言えてしまう。もし本当に調べられて居なかったと言われても、調べ方が悪いなどとゴネるのだろう。
(2)立証責任というものを理解していない。証拠が説明できないなら発言してはいけない。証拠を言う必要が無ければ、何でも言えてしまう。
(3)「あなた方は否定することを前提に」聞いてるから答えない、という態度。答えるだけ損だということを理由に答えない。これもそんなことが許されるなら何でも言えてしまう。実際、秋山氏の場合、確実に知らないと思われる(後述)が知らないと言わず、こんなのをもろに都合よく言い訳として使っている。
(4)ある一線以上は踏み込まず、根本的な議論は避けて、間違いを認める必要が無くしていること。
(5)炭素14を使った年代測定法は科学的に理論づけられており、理系だと高校で習う常識中の常識だ。しかも、複数の学問を支えている極めて重要な基礎技術だ。そんなものに(まともな理論で)問題を投げかける学者が現れたら、科学界を驚かせるビッグニュースになるから、理系の学者を含む識者数人が誰も知らないはずが無い。


全く話にならない愚かさであるが、困ったことにこんな発言で騙されてしまう人が世の中には少なからず存在するのだ。学者という権威に敢然と立ち向かってかっこいい、学者は説明できなかった、著名人が実名をさらして発言しているのだから嘘を言うはずが無い、などと思う人がいるのだ。

今回の秋山氏の発言は嘘だと見破るのは簡単だが、疑似科学(トンデモ、「と」などとも言う)を見破るのは、しばしば簡単ではない。同じ分野の学者でも、反証するのに大変苦労したりする。
何せ、最悪の決まり文句は「今の科学で理解できないからあり得ないというのは誤り、結論を急いではいけない」である。同番組に出演した大家、グラハム・ハンコックも、ほぼ同じ意味で「結論を急いではいけない」と発言した。ランダムな理論に既知の理論だけで対抗するのは容易ではない。実験的に得られた物理法則は、100%正しいことが証明された訳ではないことを理由に反論に使えないとする。ニュートン力学がアインシュタインによって完璧でないことが示されたこと、多くの識者の反論に動じなかったガリレオ・ガリレイが正しかったことが後世に示されたことなどを引き合いに出してくると、手がつけられない。いい加減なことも言い放題だ。

しかし、専門家でない我々一般人にとっては、疑似科学に騙されないコツがあるのだ。専門家は疑似科学を反証することが避けて通れないが、我々一般人は、以下のことに注意すればいい。
・使われる論法が何でも言えてしまう論法かどうかを考える
・その説がもし誤りなら科学的に誤りであることを示せるかどうか(反証可能かどうか)を考える

2点目は知らない人にはちょっとややこしいが、知っていると騙されないための強力な武器になる。
興味のある方は、「悪魔の証明」「オッカムの剃刀」「反証可能性」などのキーワードで調べて頂きたい。いずれも対「と」の強力な武器となる、とてもシンプルな概念だ。機会があれば、このweblogでもまた取り上げる。

参考文献:「奇妙な論理」マーティン・ガードナー著

なお、超常現象を肯定する研究家、評論家の全てが疑似科学の支持者ではないことを念の為申し上げておく。超常現象を科学的に研究している人も存在する。

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2006年01月12日

脳化社会への警告

1/9のNews23の「筑紫録」というコーナーに養老孟司さんが出ていて、興味深い話をしていたので、思ったことを書き留めておく。

養老孟司さんといえば「バカの壁」だろう。私にとっても愛読書の1つだ。人間の脳は、キャパシティにも理解力にも個人差はあるが、誰の脳にも限界はあるのだ。何もかもを覚えられる人間は居ないのは当然だが、何もかもを理解できる人間も滅多に居ないのだ。特定の分野に限っても、一個人が理解し尽くせる確率は極めて低いということだ。このことを意識することは、ある種の人間にとっては非常に重要なことだと考えている。情報を覚え切れなければその所在を知っておけばいい、理解し切れなければ理解できる人と繋がりを持てばいい。大抵の場合はその通りだろう。しかし、ある種の人間にはそうでない場合があると思う。そんな時のための「バカの壁」である。

養老さんは、自然と接しながら感覚で感じ取る社会ではなく、頭の中で考え作られた社会で人々が生きる社会を「脳化社会」と呼ぶ。

今の日本人は、大抵3代遡れば農民である。自然と深く接した人種である。農作物を育てるのも子を育てるのも同じで、自然において身に付けていたことである。その日本人が急速に「脳化社会」で生きるように変わっている。変化が激しすぎて、うまく対応できる訳が無い。例えば明治維新で社会がガラッと変わったが対応できたなどと比較しても、社会の変わり方が異なる。今起こっている変化は、人間が別の人間の環境に置かれる変化ではなく、人間が人間のでない環境に置かれる変化である。

今は子供がランドセルに発信機を付けられ、その行動がコンピューターで監視されているという。子供の安全のため、とか「脳化社会」の論理でいくら理屈をつけても、養老さんの言うようにそれは人間の手抜きである。コンピューターを使った方が安全、などと、いくら理屈をつけても、それは変わらない。普段実際に危険に遭遇しない子供は、そんな監視を自然な感覚でありがたいと思うだろうか。子供が「脳化社会」の論理を理解して染まって初めてありがたいと思うのではないだろうか。これで、自然に育まれた従来の人間とは異なる、「脳化社会」が作る人間ができあがるのである。この人間は、自然で育った従来の日本人とは違う人間なのだ。凶悪犯罪を犯す子供、キレる子供、ニートなど、これまであまり日本人に無かった人間が出現しても、全く不思議ではないのだ。「脳化社会」はどんな人間を作り出すのか、未知なのだ。今の子供が、その貴重なサンプルとなっているのだ。

養老さんは、人を見る目の喪失が、人の個性を失わせているという。例えば、教師が、生徒1人1人の特徴を識別できなくなっている。それにより生徒は、自分に個性が無いと感じる。
今の日本の若者がよくする「自分探し」も「脳化社会」が作ったものと言えるかも知れない。自然の中で生きた日本人は、自然や社会に適応しようとし、行き着いた居場所の違いこそが個性だった。「~村の誰々」「~会社の誰々」といった呼称がなぜ今よりも個性を表し得たのか、理屈で説明できる人は稀だろう。だから、「脳化社会」の現代では、社会に適応しようとしてどこかに行き着いた自分に個性があると思えない。「自分」の喪失、個性の埋没と考えてしまうのではなかろうか。

養老さんが教壇で「お前らの目に映ってる俺の姿は、1人1人違うだろう。」と言うと、「先生、それは些細な違いです」「それは屁理屈です」などと回答が返って来るという。養老さんは「じゃその些細な違いのどこからお前らの違いが出るんだ」と言う。そう、人は似た環境で生きても、環境ほど似た人間にならない。日本で育てばみな日本語を喋るが、みなが同じ語彙を知っている訳ではない。些細な違いの積み重ねが、違う人間を作る。それは個性ではないのか。

「脳化社会」、今の日本をうまく説明する言葉だと思った。
大体、人間が頭の中で作った社会が人間にとって最善の社会であるはずが無い。人間の頭は、よく言われるほど複雑なことを考えるようにはできていない。何事も単純化して考える傾向がある。だから、個人主義、拝金主義なんてのがすぐに蔓延する。頭の中で考えても、例えばなぜ他人を思いやらないといけないのか、なぜ人を殺してはいけないのか、なぜ生命は尊いのか、なぜ生きないといけないのか等が、自然に身に付く以上に理解できることは稀であろう。それと同じで、頭の中で考えれば、個人主義も拝金主義もとても単純で合理的なので受け入れ易いし、受け入れれば複雑なことは考えたくなくなる、思考の着地点となり易い。人間の脳は、ある程度納得すれば疑わない、局所解に陥りやすい性質があるのである。そんな脳で考えることなど知れてると思った方が賢明だろう。

2006年01月14日

No Cross No Crown

ある雑誌を読んでいて、墓碑に"No Cross No Crown"と書いてあった、というのを読んだ。("Cross"と"Crown"は絵で描かれている)
どういう意味だと思うか?「十字架も王冠も要らない」だと思わないだろうか。
アメリカ人でさえ、「キリスト教も王政もまっぴらだ」と解釈したらしい。

ネタはウィリアム・ペンという人が書いた"No Cross, No Crown"という本だったらしい。
本当の意味は上記の逆で、「十字架を避けては王冠は得られない」だそうだ。
とてもややこしい。
同様の用法による言葉は色々存在するらしい。
"No Pain, No Gain."(「虎穴に入らずんば虎児を得ず」)
"No guts, No glory."(東京シティ競馬)
"No music, No life."(タワーレコード渋谷)

さらに探し回ってみた。
"No challenge, No success."(安芸市役所)
"No justice, No peace."(ある日本語のWebページ)
"No pain, no palm; no thorns, no throne; no gall, no glory; no cross, no crown. "(William Penn)
"No sacrifice no victory"(あるWebページ)
"No love no God"(あるWebページ)
"No suffering, no inheritance."(あるWebページ)

色々調べてみた結果、なんとなく"No pain, no gain."以外は一般的でない造語だと思うが、どうか。

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2006年02月26日

くるみを割る方法

先日、勢い余って、殻付きのくるみを買ってしまった。
昔、殻付きのくるみを買った時に、付属のハート型の金属片を使って割ったことがある。今回買う時に、そういう金属片は無いか、と尋ねたが、みんなハンマーで割ってるよ、とのことだった。
くるみを割るために、金属片が入っている新たなくるみを買うのは癪に障る。そこで、なんとか他の方法で割れないかと色々試してみた。

・Trial 1
金属片の代わりに、マイナスドライバーで開けようとしたが、溝に差し込むことができなかった。
・Trial 2
小型のハンマーを買って、割ろうとしたが、割れなかった。ちょっと凹む程度だ。大きなハンマーで無いと無理っぽい。
・Trial 3
100円均一ショップで万力(クランプ)を買って、潰そうとしたが、ある所から先は回し棒が固くて進めなかった。
・Trial 4
Webで調べて、180度のオーブンで5分暖めて、くるみのお尻の方からこじ開ければいい、という情報を得て試したが、こじ開け方がわからなかった。
・Trial 5
同じくWebから、くるみを水にぬらして炒ると割れ目が開く、という情報を得て試した所、見事に割れ目が開き、はさみを差し込んで力を加えると、3個中1個がきれいに半分に割れた。残りの2個は、割る作業中に冷めて割れ目が閉じ、穴が空いた位しか割れなかった。

それにしても、くるみの殻はなんて固いんだ。ウォールナット(壁の木の実)とはよく言ったもんだ。

2006年08月21日

発想法というもの

最近、TRIZという単語をよく目にする。今日も目にしたので、何かと思って調べたら、発想法の1つらしい。

発想法といえば、有名なのはブレーンストーミングとKJ法だと思う。私も多分に漏れず、それらに接してきたというか、それらに接する羽目になってきたのであるが、正直言って、それらの発想法の効果を実感できた試しがない。どうも、それらを使うことが賢いやり方だという共通認識が、無根拠に出来上がっている気がする。ついでに、「KJ法はいいよ」みたいに、使いこなしてる風に言うとカッコいい、ということがあるような気がする。

調べてみると、発想法というのは他にも色々あるようだ。
http://www.product.tuad.ac.jp/robin/Jpn/lecture/idea.htmより引用:

「ブレーンストーミング法、KJ法、マトリックス法、クロス法、7×7法、OCU法、図書分類、チェックリスト法、フローチャート法、因果分析法、特性要因 図、関連樹木法、デシジョンツリー法、PERT法、ブロック法、ストーリー法、 シナリオ法、ハイブリッジ法、ワークデザイン法、ZK法、自律訓練法、カウン セリング法、イメージコントロール法、TA法、ヨーガ、禅、等価変換理論、水平思考法、ゴードン法、Uターン思考法、欠点列挙法、希望点列挙法、属性列挙 法、非分割結合法、形態分析法、分割結合法、飛躍結合法、QC法、パラダイム 発想法、ST(感受性訓練)、チーム発想法、シネクティックス、入出法(イン プット、アウトプット法)、SET法(記号画展開思考)、NM法、ノミナルグ ループ手法、ブレインライティング(635法)、TRIZ、ピン・カード法、 アルファベットシステム、ワードダイヤモンド、焦点法、デルファイ法、バイオ ニクス、パート法、KT法(ケプナー・トリゴー法)、システムアナロジー、逆 設定法、モホロジカル分析、コンフロンテーション(対比技法)、擬物化法、デ ルファイ法、ポジショニング法、トリムシ法、LISA(ライフスタイルアナロ ジー)、座標図法、SAMM法、フィリップス66法…」

効果が理論的に説明できる必要が無く、効果が出なくても「使いこなしてないからだ」と言い逃れできるので、作り放題ということだということが窺い知れる。

2005年の日経BPのコラムによると、この中でよく知られており、よく使われている上位5つは、ブレーンストーミング、KJ法、KT法、TRIZ、NM法だということだ。TRIZは後発のため、今後順位を上げていくのだろう。

それぞれについて、特徴や手順の概要を説明してみる。
・ブレーンストーミング:あまり多くない人数で、批判禁止、突飛な意見歓迎で、ひたすらアイデアを出し続ける。出したアイデアが他者を刺激するという効果だけでアイデアを広げようという方法。
・KJ法:無秩序なデータを直感的に空間配置して整理し、データに隠された情報を見つけようとするもの。
・KT法:意思決定者のための、合理的な解を導く論理的な思考法で、プロセスとワークシートからなる。詳細不明。研修やセミナーで高い金を取るネタらしい。
・TRIZ:過去の特許から技術的な発明の法則をまとめたもので、問題を様々なプロセスにより変換し、解決パターンを当てはめて変換後の問題を解き、元の問題の解を得るという感じの方法。
・NM法:問題解決のための思考プロセスを定式化したもの。いくつかのパターンの類推を決まった手順で行う。実行者の類推力が勝負。


これが決定版、というのが無いことからも、さほど便利と呼べるものではないようだ。複数人で共通の思考プロセスを踏む目的で使うか、思考に苦しむ人が駆け込み寺として使うものではないだろうか。

そもそも、発想法というものは人が自然にやっている思考パターンの一部を規則化または法則化したものと考えられる。そういうパターンで思考する習慣が無ければ、参考になるものだとは思う。
しかし、あくまで人の思考パターンの一部であるから、人が自然に行う思考過程の方がずっと複雑なのだ。ずっと複雑なプロセスで思考できるということは、より優れた思考ができるということだ。ある問題に対して効率よく良い解を出す、汎用的な問題向けにパターン化できない複雑な思考プロセスが存在するからだ。思考プロセスを単純化した方が良い場合もあるだろうが、それが常に成り立つとは思えない。
それに、借り物の思考パターンより、慣れた自分なりの思考法の方が楽に実践できるということもあるだろう。
発想法というものに縛られるのでなく、発想法というものでも使わないと考える事ができなくなった時にヒントを求めて使えばいいものという気がする。
もし思考力自体の向上を目的として発想法を学ぶなら、ある発想法をマスターすることが賢いのではなく、発想法は思考プロセスのごく一部のパターンにしかなり得ないことを意識して、発想法を参考にして自身の思考プロセスを改善することを考えるのが、本来は望ましいという気がする。


●参考リンク
・TRIZ
大阪学院大学内のページ
産能大学内のページ
・その他
「発想法」について --- Ideationの文書(PDF)

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2007年06月30日

日本のソフトウェア産業を考える

日本のソフトウェア開発の生産性が低い理由を考察した記事を見つけた。
全く同感だったので、コメントと共に書き留める。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070306/264055/

 中小のソフトウエア会社は、市場からの要請に応えて、新卒者をろくな教育もせずに開発プロジェクトに放り込んだ。大企業が採用した新卒者も、大量の採用で教育に手が回らず、事情は大して変わらなかった。

日本はプログラマーが不足していると昔から言われているが、ソフトウェア会社自体は結構多くあるように思う。それに、私自身が見てきた経験として、趣味でプログラミングをする若くて優秀なアマチュアのプログラマーは決して少なくない。しかし、優秀なプログラマーが職業プログラマーにはならない傾向があると思う。
その理由はいくつか思い当たる。例えば、趣味のプログラマーはモチベーションが無いと力を発揮できないことを感覚的に知っているため、やらされるプログラミングを嫌う。また、優秀なプログラマーは大抵プログラミング以外にも発揮できる能力があり、職業を選択できるため、プログラマーにはならない。それに、徹夜続きであるとか、実際にプログラミングができる時間は10%も無いとか、プログラマーという職業について希望を持てない噂が流れている。
その結果、ソフトハウスに入る新人はプログラミングの素人が多いのだろう。

 その一方で、目的と手段とを取り違えて、モデルに書かれたプロセスを表面的にこなし、小さな範囲で要領よく認証を取得し、あたかも会社全体がレベル達成したように宣伝する企業も増えた。認証獲得やアセスメント自体を目的とすると、達成した途端に経営トップが投資意欲を失い、地道な改善活動を妨げる。後には死んだ規格や形式的に書類に記録をするといった無駄な作業が残り、本来の目的と逆の結果をもたらす。

能力の無いソフトウェア開発者は、開発プロセスに従うことしか考えなくなる。そして、業務を効率的に進めるためにケースバイケースで開発プロセスを少し外れようとする優秀な技術者にケチをつけるようになる。開発効率を上げるために開発プロセスを手段として採用するのでなく、本来の目的を忘れて開発プロセスに従うことが目的になるのだ。

 発注する側がプログラミングなど、ソフト開発の最下流部分を発注しているつもりでも、受ける側に力量があれば、技術やノウハウを吸収して自らの力で設計や開発ができるようになる。逆に、発注者は技術とノウハウを維持しているつもりでも、実際にソフトウエアを開発していないと、高い品質で効率よく作る能力は急速に衰え、見積もりを正当に評価する力もなくなる。

発注者が受注者の納品物を検査するのは容易ではない。仕様通りに動くかどうかは、テストすれば分かるかも知れない。しかし、受注者も大きな工数をかけてテストをして出す訳で、それで見つからなかった不具合を発注者が見つけるのは大変だ。従って、基本的には受注者が提出したテスト結果報告を信用することになる。
受注者がかけた作業量が妥当であるかどうかを、実際に作業をしていない発注者が見極めるのも難しいし、納品物の仕様通りである以外の品質(保守性や効率性など)を、実際に作ってない発注者が見極めるのも難しい。
結局発注者側がそういう作業を嫌がるために、受注者側の言いなりになっていく。

システムからサブシステムを切り出し、自ら責任範囲を決め、それが果たせるようになると、親会社に執拗しつようにお願いして順次、請負契約に切り替えた。

 ところが派遣指向の会社はその逆をやっている。顧客が請負を要請しても、派遣を続けて欲しいと懇願しているのを知って驚いた。経営の自立は、個人の自立を促す。自らの意思で、必要な技術を身につけようとする。それが企業風土になれば、自立した企業と言える。

実際にソフトウェア開発の仕事をしていると、工数に対して費用を取る方式を希望する外注がある。やった仕事でなく、仕事した時間に対する報酬を求めている訳だから、できる仕事に自信が無いということにしか思えない。
逆に、請負契約(一括の業務委託)にすると、非常に融通が利かなくなる会社がある。最初に決めたこと以外は絶対にやらないとか、ちょっとした仕様変更に対して莫大な追加費用を請求するとかいうことが起こる。そういう会社に遭遇すると、工数精算という方式も重要だと思う。
2つの方式の適正運用に、多くの人が考えさせられ悩まされているのも納得だ。

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2007年10月29日

「灯台下暗し」の読み方

「灯台下暗し」という慣用句の世間一般の発音が、昔から気になっている。なぜ皆「もと」にアクセントを置くのだろうか?まるで「東大モトクロス」のようだ。関東のイントネーションによるそれは「大正デモクラシー」をも連想させる。

中1の頃、一般的な発音を知らずに、「灯台下」(関西弁で、尻上がり)「暗し」(同じく「ら」にアクセント)と級友に言ったら、なんやその変な言い方、と笑われてしまい、「灯台」(尻上がり)「下暗し」(「もと」にアクセント)やろ、と訂正された。その訂正された読み方を聞いた時に違和感を覚えてから20年以上、TVでもその違和感のある読み方しか耳にせず、ずっと疑問に思っている。

「ほの暗い」のように「下暗し(もとくらし)」という形容詞がある訳では無く、「下」は灯台(燭台)の真下のことを指し「灯台」にかかるのだから、「下」と「暗し」の間は切れるはずだ。従って「灯台」「下暗し」と切れて聞こえる読み方をするのは間違ってると思うのだが、どうなのだろうか。

2008年08月17日

ペンギン in the world

Languagenotation
Japaneseペンギン
Englishpenguin
GermanPinguin
Frenchpingouin
Spanishping?ino
Italianpinguino
Simplified Chinese企鹅
Traditional Chinese企鵝
Russianпингвин
Polishpingwin
CzechTučňák
HungarianPingvin
Dutchpinguïn
Thaiเพนกวิน
Hangul펭귄
Turkishpenguen
Portuguesepinguim
Arabicالبطريق
Persianپنگوئن
Finnishpingviini
Danishpingvin
Swedishpingvin

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2008年12月07日

「〜ますでしょうか」

仕事でたくさんのメールを書いていると、日本語的にというか敬語的にというか、どう書くのが適切かわからなくなることがしばしばある。元々、筆者は国語が苦手なのである。中でも、「よろしいでしょうか」「合ってますでしょうか」などの「〜でしょうか」は長きに渡り決まり文句のように使い続けているのだが、書く度に違和感がある。

なぜ「よろしいでしょうか」に違和感があるかというと、語尾を肯定文にかえると「よろしいです」であり、デアル調に変えると「よろしいである」だからである。ファミ・コン語の「よろしかったでしょうか」は論外だが、「よろしいですか」より「よろしいでしょうか」の方が柔らかい気がするから使ってるのだが、「よろしいですか」でも問題は同じである。では「よろしいですか」の正しい敬語は何なのだろうか?

「合ってますでしょうか」については、「合ってますか」より柔らかい気がするから使ってるのだが、「合ってますですか」と考えると敬語が2重だし、これで既におかしいが、肯定文にして口語体に変えると「合ってるです」「合ってるだ」だ。

「合ってますでしょうか」などと書く時に時々思い出すことがある。
ある将棋の解説で、驚きをユーモラスに表す為に、解説者がわざと「これは…恐ろしいことに…寄ったですね〜。」、その後「これは…詰んだですね〜。」と言ったのを聞き、笑いながらもその表現にとても共感したことがある。その局面は、私にとっては「寄りましたね」→「詰みましたね」と表現されるより、「寄ったですね」→「詰んだですね」と表現されるべきものだったのである(関係ないが、「〜べき。」で終わる表現も違和感がある。「〜べし。」とすべし。じゃないのか?)。解説者の横の聞き手が「詰んだですか。」と返したかどうかははっきりと覚えていないが、その時に限り「詰んだですか」はありだったと思っている。
なぜその状況において「詰んだですね」しか有り得ないと思ったのだろう、私の言語感覚がおかしいからだろうか、とずっと考えている。「詰んだですね」の口語体は「詰んだだね」だから、おかしいことはおかしい。今の所、「これは『詰んだ』ですね」という伝聞調だったのだろうと思っているが、まだ自分で納得できていない。
とりあえず、そんな私の言語感覚でも「詰んだですね」は稀にしか正しくないのだから、「よろしいでしょうか」「合ってますでしょうか」も基本的に正しくないと思う。

閑話休題、「よろしい」の敬語は「よろしゅうございます」と読んだことがあるが、するとその疑問形は「よろしゅうございますか」だと思うが、私の仕事関係で実際に使われているのは見た記憶が無い。「合ってますでしょうか」は「合っておりますか」が正しいと記憶しているが、ちょっときつい気がする。「合っておりますでしょうか」だと元の問題が解決してないし、「合ってございますか」はやはり見た記憶が無い。「合ってます?」は結構見かけるが、また別な違和感があるので、私には書けない。

私には何年も前から気になっていて、おそらくその辺りには敏感になっているにも関わらず、未だ解決していないということは、少なくとも私が読んできたメールには私が納得する答えが無かったということだろう。敬語に無頓着な人以外は「よろしい」の疑問形や「合ってます」の疑問形を使わない表現方法を身に付けているのだろうか。

明日からまた「合ってますでしょうか」と書くんだろうな。気を緩めていると「合っておりますでございますでしょうか」等に進化してしまうかも知れない。

2011年09月19日

「DevLOVE関西2011CONNECT」傍聴録

9/17に、「DevLOVE関西2011CONNECT」とかいうアジャイル関連のイベントが府内であったので、行ってきた。

【聴いたセッション】

  1. オープニング
    遅れて入ったのであまり聴けず。
    Hanger Flightの話(初期の飛行士は、その体験を格納庫で話し合って共有することによって、飛行機の操縦という人類にとって新種の問題に取り組んだという話)とかしてた。
    1エンジニアの生涯工数は高々300人月くらいしかないから、1人で解決できることは知れてるとかなんとか。

  2. 「アジャイル開発事例と15分で作るRailsアプリ」(川端さん)
    XPの話、Javaで開発した事例紹介、Ruby on herokuの実演
    後述

  3. 「ゴール・リズム・愛って、プロジェクトの処方箋!?」
    プロジェクトファシリテーションとか
    後述

  4. 「障害管理からチケット駆動開発へ~BTSから始まる進化の歴史」
    Mantis最高、Mantis万能みたいな話
    後述

  5. PicoDialog
    「あなたはどんな時に能力を発揮していますか?」とか「どんな時に萎えますか?」とかのWebのアンケート5問を、1問ずつリアルタイムに集計しながら、各人の選択について参加者同士で話してみるというもの。
    4択だったのだが、いずれの質問においても、筆者に当てはまる選択肢が無く、すっきりしなかった。


【川端さんの話】
・XPの話
XPのテーマとして、Kent Beckの「白本」に始まり、それ以降のどの本でも言われていることは、コミュニケーション、フィードバック、シンプル、尊重、勇気の5つ。尊重と勇気がXPの特色だと思う。勇気とは、できる人がやったコードでも直す勇気のこと。
XPは、具体的なプラクティスが示されていることが良い。

XPが目指す成功とは、プロジェクトの成功というより、開発者満足+顧客満足だと思う。
開発者満足は従業員満足とはちょっと違う。従業員満足というと、給料が上がることとか休暇が取れることとかになるが、そういうことではなく、開発者が能力を発揮して成功できる、子供に憧れられる、尊敬される、自分が興味のある好きなことがができるようなこと。

「白本」のサブタイトルにもなってる"Embrace Change"(変化を抱擁する )という言葉が好き。レストランで魚料理を注文した客が、後になって肉料理に変更したいと言い出したら、もし料理ができ上がってても、もう作ってしまったので、と断るのでなく、もしもう作っている途中であってもそれを見せることなく、注文の変更を受け入れること、また注文の変更がしやすいように思わせること、が目指す理想だということ。

・Javaでの開発事例
COBOLだった金融システムをJavaに置き換えるためのフレームワークの開発を担当した時、発注者がアジャイルに理解があったので、やり方を全て自分達で決めてそれも都度変更していくアジャイル流で行った。

オブジェクト指向の知識も無かったが、リッツ・カールトンの「クレド」の話を知って、それを参考にしたり、進め方を自分達で決めてマインドマップにまとめるということをやって目的意識と自主性を高め、2週間のイテレーションを毎回確実にやり切り、20回のイテレーションだったが、最後まで週40時間のペースで終わらせることができた。

その過程で何を工夫したか、どんなトラブルがあってどう解決したかの話も色々あったが、筆者がポイントを掴めなかった為、カットする。

・Ruby on herokuのデモ
Rails, heroku等のインストールからscaffoldを使ったWebアプリの作成、herokuとgitを使ったインターネットへの公開まで、15分くらいで実演された。色々なConfigファイルの類を書き換えてたのが数ヶ所、アプリコードを書き換えてたのが1〜2行くらいで、ほとんどの時間はRubyのコンソールを操作してインストールしたりmakeしたりしていた感じだった。

打ち合わせの最中にも動くものが作れてしまう、動く仕様書なので意思伝達の齟齬も無い、とかいうアピールもされた。

(感想)
このイベントのWebページのこのセッションの表題の所に「バグがないプログラムのつくり方 JavaとEclipseで学ぶTDDテスト駆動開発」と書いてあって、実はこれに興味を持ったから参加したのだが、これは今回のセッションのテーマではなく、川端さんの著書のタイトルだったようだ。何と紛らわしい。かなり当てが外れたが、終始興味深い話で、Ruby on Railsの実演はなかなか鮮烈だったので、満足だった。

まあしかし、ある物を単に組み合わせるだけで作れる範囲なら短時間で作れるというのはよくある話であって、その範囲を少しはみ出ると途端に大変になるというのもよくある話である。特にお仕着せのオートマチックなフレームワークであるほどありがちである。まあ面白かったなということだろう。

筆者にはどうもRubyは遊びに見えてしまう。"Rails", "scaffold", "rake"といった名前の付け方からしてもそれは思う。新しいこと、面白いことを好むRubyな人達にとっては、実用的、実践的な名前の付け方は「つまらない」のだろう。


【ゴール・リズム・愛って、プロジェクトの処方箋!?】
アジャイルを10年やって、やはりソフトウェアは人が作るものだということを意識している。
メンバーのパワーを何%出せてるか、を考える。やり方がまずくて30%しか出せてないとか、100%を出しているがやらされ感があってクタクタとかいうことがある。
しかし、例えば運動会では100%以上の力を出せてると思う。それの実現を目的とするのがプロジェクトファシリテーションである。

プロジェクトマネジメントは計画達成型のマネジメント、
プロジェクトファシリテーションは参加者の協調の場作り。

運動会で100%以上の力が出せるのは、目的が明確で、かつ、メンバー間で一致しているから。
ゴールが明確でなかったりメンバー間で共有できていなかったりすると、チームとして100%の力を発揮するのは不可能である。また、ゴールが漠然としていると、その漠然としたレベルではチームで共有できていても、具体的なゴールの認識にはずれがあるもので、それもパフォーマンスの低下に繋がる。課題とはゴールと現実とのギャップでしかなく、ゴールがずれていれば課題は解決しない。

アジャイルのイテレーションが有効な理由は、遠いゴールを目指すのでないこと。長期的なゴールがメンバー間で一致していても、短期的なゴールにはずれが生じるものである。
WBSがなぜ階層化して分割するかというと、目の前のゴールがはっきりしていると走りやすいからである。

ソフト開発はメンバー間でリズムが一致していると良いと思う。例えば、毎日決まった時間にミーティングするとか。しかし、経験上、そのミーティングを夕方以降にすると「今日も大変だったね」だけになりがちなので、朝にするのが良いと思う。朝やると目標の確認になる。
朝会では、何か笑顔になることをやってみるといい。ハイタッチとかのつまらないことでも、自然に笑顔になる効果がある。すぐ飽きるが、飽きたら次のネタを考えればいい。それでファシリテーションになる。

愛とは、結局、欲望だと思う。人それぞれ欲望は異なる。異なっても、それにより違うtryが行われるので良いのである。

ピーターパンは、"Let's fly"とは言わず、"You can fly"と言う。相手によってその結果はまちまちだが、それで最終的に"We can fly"になる。

(感想)
宗教的な香りが漂うアジャイルの中で、しかも人間相手で掴み所がなく、極めて答えが少ないテーマに関わらず、相当にわかりやすく実践的な話だと感じた。ファシリテーションやコーチングに答えは無い。あるのは目的だけだ。テーマが広すぎて迷子になるよりは、このように具体的なヒントがある話にする方が幾分かマシであろう。

ただ、目の前のゴールの認識にもメンバー間でずれがあるもの(それがチームのパフォーマンス低下の一因)という話は、比較的難しい問題が置き去りにされていると感じた。メンバー間の認識にはずれがあるものだということを理解して話を聞けば、自ずと道は開ける、だろうか。マネージャーの本分は道を見つけること、リーダーの本分は道を示すこと、そのどちらもメンバーの知識や理解力に偏りがあるほど、衝突するものである。運動会のように競争本能によって労せず目的を一致できるものではないし、メンバー全員がゴールを共有できるとは限らないものである。
個人的にはむしろ、メンバー全員がゴールを共有しない限りは団結できないと考える方が危ういのではないか、と思ったりもする。


【障害管理からチケット駆動開発へ】
本来のTiDDとは何なのか?
BugzillaでTiDD以前のことをやってた時は、軽量さと規律の両立の妙、をあまり理解してもらえなかった。

Excelによる障害管理には課題があった。バグ情報が散在して混乱しやすい、作業履歴がExcelやメールに散らばる、集計や報告書作りに手間がかかる、バグ修正と検証のワークフローが複雑で、たらい回しにされることもある、管理台帳でリリースとの関連を管理する必要があるなど、リリース管理が大変、リリース履歴からバグを探しにくい、等々。

MantisはPHPで作られているOSSのBTSで、バグ管理に特化している、Web I/Fを持つシステム。障害はチケットで一元管理し、チケットのステータス遷移でワークフロー制御でき、検索や集計が楽で、終了チケットをリリース履歴として残すことができる、等々。

Redmineと同じく、No ticket, no commitのプラクティスが実践できる。

平均完了日数がわかる。これでチケットの粒度がわかる。イテレーションのサイクルに関係してると思う。
あるプロジェクトで、MTBFを求めてみたら、 1ヶ月持たずにバグが出ることがわかった。

BTSを仕様変更や課題管理にも使いたい。バグ修正のワークフローはSW開発の基本フローである。BTSからITS(Issue Tracking)へ。
BTSのチケットはXPのタスクカード、アジャイルのストーリーカード。BTSはアジャイルと対応付けができ、アジャイルそのもの。
Mantisは柔軟なワークフロー管理ができ、並行開発やブランチもサポートできる。

TiDDは組織全体(全ての業務)へ展開可能。TiDDはBTSのベストプラクティスを引き継いでいる。TiDDはメンバーの自発性が出てくる。TiDDはXPと同じくプログラマ復権運動。

(感想)
TiDDがBTSから派生したものだというのはそうだが、それを言うならMantisとRedmineの比較がされるべきだった。Mantisだけを取って何々ができる、というのは本質的ではないし、厳しく言うと、Excelを比較対象としているが、BTSに必要な機能として、MantisでできてExcelでできないことは何一つ説明されなかった。基本的に、Mantisと同じ入力フォームやデータ管理はExcelで実現可能である。Excelで障害管理する上での課題として挙げられたことは全て、障害管理そのものが理解されずにExcelが使われた結果であり、障害管理のノウハウはMantisを使う上でも必要なのであり、Mantisを有効に使うスキルがあればExcelで管理しても挙げられたような課題は起こらないのである。

Webのシステムだから使いやすい、というのはナンセンスである。Webのシステム(ネットワークシステム)であることとWebブラウザをI/Fとして使うシステムであることは違うし、HTMLに制限されたUIを持つシステムが一般に不便であることは常識であり、むしろExcelからのインポート、Excelへのエクスポート機能が求められることが多いものである。WebブラウザをI/Fとして使う利点はplatform independentであることだけであり、Webのシステムの利点はinteroperability、つまり他のWebベースのシステムとの連携が容易(である可能性が高い)ということである。どちらにしても、MantisやRedmineの長所となるものではない。

筆者の経験上、実務的にBTSに最も求められる機能は、検索/集計と、バックトラッキング(トレーサビリティ)である。それはMantis/Redmineは構成管理ツールと連携して実現しているが、その他の障害管理システムでも何らかの形で実現しているものである。ソースコードのリリースとバグ票番号の対応が取れない構成管理システムはあり得ない。問題はできるかどうかではなく、やり易いかどうかである。MantisやRedmineでも、チケットとコミットとの関連付けを、人の手でチケット番号やタグの入力によって行うのであれば、Excelでも同じことをすればコミットからのバックトラッキングができるのである。

TiDDはあらゆる業務に使えるというのは根本的におかしい。No ticket, no commit(or no work)というのはトレーサビリティの話であり、本来は要件番号や要求仕様書との関連や業務指示書のIDを明確にすることによってMantisやRedmineを使わなくてもトレース可能な情報を残すべき話である。「チケット」だからどうという話ではないのであり、「チケット」でも単位作業の粒度が問題になる話であり、「チケット」ベースだから確実という話でもないのである。何もかも「チケット」ベースにすることが可能であることと、何もかも「チケット」ベースにする方がやり易いことは全く異なる。手段が目的になってしまっている話であり、道具に使われてしまっている話である。そのような発想では、チケットの海に沈むことになり、Excelでやってた頃と同じ状況に逆戻りしてしまうであろう。

MTBFを求めてみたという話があったが、ソフトウェアのバグが確率的にしか起こらないのであれば意味があるかも知れないが、再現手順が明確になったバグはMTBFと関係なく起こせるのであり、1つのバグのTBFは1回しかないので、本当の意味のMTBFではない。
例えばもし、修正すべき不具合は平均的に1ヶ月に1件起こるというデータが出るのであれば、毎月1件分の修正コストを見込んでおけばいいなどの使い方ができるので意味があると思うが、平均を求めたら1ヶ月に1件だった、というのと、平均的に1ヶ月に1件起こるのとは違うのである。
ソフトウェアは、初めの頃に不具が合多く発見され、次第に安定して発見される不具合が少なくなるものである。従って、平均を取る期間を長くすればするほど平均値が減るものであり、そういう平均値は意味が無いのである。推定量の一致性がないというやつだ。また、ばらつきの有無も問題である。平均が1件/月でも、3件の月が1回で0件の月が2回であれば、平均値に意味が無いのである。
そこまで考慮して、実測したら意味のあるMTBFを取れたという話なら有益だったが、今回の話はそういうものではなかった。やはりソフトウェアの不具合にMTBFを持ち出すのはナンセンスであろう。これも本質を捉えずに拡大解釈したことにより無意味に混乱した話だと思った。

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2012年05月15日

「課題」とは何ぞやという課題

ソフトウェア開発の現場では、よく「課題管理」という言葉を目にする。筆者はソフトウェア開発(間接業務含む)以外の仕事をしたことが無いので、他の業種ではどうかわからないが、特にソフトウェア開発の世界では、「課題管理」という言葉が多用される、というか、安易に使われているような気がする。まるで、ソフトウェア開発というものは、計画通りの進捗を阻害する要因は全て「課題」であり、「課題」を見つけて1つ1つ「解決」していけばいいだけのもの、と言わんばかりである。実際、現場から離れて「プロジェクト管理」なる仕事をする者の中には、本人の業務はMS Projectなどを使って進捗をグラフィカルにするだけの「進捗管理」と、MS Excelなどを使って「課題管理表」に行を追加して「状態」列を「完了」にして行を灰色または非表示にするだけの「課題管理」の2つしかしない者も少なくない。

筆者はこれまでに10以上のプロジェクトを見てきたが、大体どこのプロジェクトにも開発計画と「課題管理表」があり、解決していない「課題」が残っていると上司に追及されるような、外部報告用の「課題管理表」に挙げられた「課題」はどんどん「解決」して行くのに、現場で管理する本当の課題管理表に挙げられた「課題」はどんどん溜まって行く、という傾向があるようである。

少し気の利いたプロジェクトなら、報告用でない現場の課題管理表は、解決方法がわかっている「課題」とそうでない「課題」とを分離して、さらに前者の内作業計画もされたものは計画に、計画無しで作業するものは「TODO」に移動するなど工夫するので、ある程度、何らかの似たような性質のある「課題」に分類されるのだが、それでも、感覚的に粒度や問題の次元が異なる「課題」が同じ管理表にあることがほとんどである。

筆者も一応プロジェクト管理の仕事をしていたことがあり、延々と課題管理表を作っていたある時、「課題」って一体何だろうと思って、相当思いふけったことがある。その時には自分なりの答えを出したのだが、先週、再び混乱することがあったので、もう一度自分なりの考えを整理する。

実際の仕事上で「課題管理」を目的とする時の「課題」の意味は結構広く、緊急のトラブルやバグを除くと、イレギュラーに発生する、計画通りの作業遂行の障害となり得る要因は全て「課題」と呼ばれることがあると思う。筆者が管理していた課題管理表はそのような状態だったので、それらの課題を、管理表上で以下のように分類した。


問題
解決案が想像もできていない課題。

テーマ
長期プランで対応する課題。

調整事項
外部と調整して対応する課題。

調査事項
内部で調査する課題。分析事項含む。

検討事項
内部で検討して対応する課題。決定事項含む。

ToDo
単なる作業、またはすることが明確な課題。

A.I.(アクションアイテム)
ToDoと同義。会議に関係する文脈において使用され、物事を一歩進める意味合いを強めるために使用される。または、会議したことによって明確になったこと、その会議をしたことに意義あったことを強調するために使用される。

リスク
課題となる可能性のあるもの。

mystery
不思議なこと、謎なこと。


もし、課題管理表とは別にToDoリストとリスク管理表があれば、上記の内、ToDoとA.I.とリスクはそちらに移動されていたであろう。

これは7年くらい前に考えたことだが、今見てもまあまあ的を射ていると思っている。しかし、世の中にはそれでは「課題管理」とは呼べない、それでは「課題管理」ができないと言う人々が居る。曰く、「次のアクションが明確になっていないものは『課題』ではなくて『問題』である」なのだそうだ。
課題表の「対策」欄に次に行うべきことを具体的に書けないのなら「課題」じゃないから課題管理表に書くな、課題管理表に記入するのならその対策を具体的な「アクション」に「落とし込」んでからにしろ、という訳である。

「次のアクションが明確になっていないものは『課題』ではなくて『問題』として区別する」という考え方が広く出回っていることは、筆者も知っている。大体、


リスク
まだ具体的な障害になっていないが、障害になり得るもの

問題
具体的に発生した障害

課題
対処すると決まり、対処方針が明確になった問題

ToDo
担当者と期日が明確になった課題


というような定義で、「リスク」の一部が「問題」になり、その一部が「課題」になり、その一部が「ToDo」になる(または、そのように「細分化」/「break down」する)というようにして、「リスク」と「課題」と「ToDo」の区別を明確にしようとか、解決できないままで残る「課題」を発生させないようにしようとする発想によるものだろう。

しかし、このような考え方は机上の空論だと筆者は考えている。その理由は以下である。


  • 大抵、「課題」ではなく「問題」だとして「課題管理表」から除外されたものをどのようにして管理するのかについて言及されない。
    そもそも、「問題管理」などという言葉は見たことも聞いたこともない。課題管理において解決困難な課題が存在するからと言って、難しい課題への対策を考えるのではなく、難しい課題を「問題」と言い換えることによって、「課題管理」だけをやりやすくしようとしているだけである。
    もし「問題管理表」が別に作られたら、それらが「課題管理表」にあった時と同じ問題が「問題管理表」に生じるだけである。

  • リスクマネジメント上のリスクが現実の問題となっても、リスクは依然リスクである。
    あるリスク要因が現実の問題となるのが1度きりとは限らないし、実際には発生しなければそれがリスクでは無かったことにはならない。リスクは課題の確率事象であり、リスクかどうかと実際に発生したかどうかは関係がない。
    リスクが課題管理表やToDoリストに(コピーされたのではなく)移されたのなど見たことがない。もし「リスク」が「問題」にbreakdownできてしまうなら、「リスク」はゼロにできるということになってしまい、リスク管理というものが意味を失うだろう。

  • 次のアクションが明確でなければ「課題管理表」に書くべきでないというのは、上司が部下に対して、問題を報告するなら解決方法も一緒に持って来い、と言ってるようなものである。
    それはつまり、解決方法がわからないなら問題を報告するなということであり、解決方法を考える責任を自分で負いたくないということである。

  • そもそも、通常の会話で、「課題」とか「問題」とかいう言葉を次のアクションが明確になっているかどうかで使い分けることは考えられない。「それは今後の課題だ」「難しい課題だ」と言う場合、対応方針が明確になっていることは稀であるし、「それは問題だ」と言うのは、不正や否定のニュアンスを含むこともある。
    もしアクションが明確かどうかで用語を変えたいのなら、「課題」や「問題」という単語を使うべきではないと思う。(そのような呼び分けに興味が無いので、それらに代わる造語を考える気もしない。)

  • 次のアクションが明確になっているかどうかは、人による。
    能力や権限がある人ならすぐに何らかの行動が起こせる課題でも、人によっては他人に依頼するか、行動を起こす前の準備が必要な場合がある。
    対処できる人に対処する暇があるかどうかで「課題」か「問題」かが異なるのでは、「課題」の定義として適当だとは到底思えない。

例えば、「仕様書の完成が遅れているため、詳細設計に手戻りが生じている」というのは、次のアクションが明確でないから、それは(課題表に書くべき)「課題」ではなくて「問題」であり、「仕様書の完成が遅れている原因を分析してボトルネックを特定する」や「仕様書の完成を急ぐ為、誰々に応援を要請する」は次のアクションが明確だから「課題」だと言う。
しかし、「ボトルネックを特定する」は明確なアクションと言えるのだろうか?なぜ原因を分析する前にボトルネックの存在がわかるのだろうか。単純に担当者の作業量が増加しているのかも知れない。分析してみないとわからないのではないか。もし「ボトルネック」の定義の違いだ、作業遅延の原因となり得るものは全て「ボトルネック」と呼ぶことが可能なのだ、と言うのなら、「ボトルネックを特定する」は「分析する」と同じ意味になり、その文に意味が無くなってしまう。
そして、「仕様書の完成が遅れている」のが課題なら、自動的にその原因の分析が次のアクションに含まれるのではないだろうか。つまり、課題管理表に「仕様書の完成が遅れている原因を分析してボトルネックを特定する」と書かれていても「仕様書の完成が遅れている」と書かれていても、何ら変わりはない。
課題を表す文章が「すること」を表していないから問題、とかいう国語的な話は興味が無いが、日本語の語尾が「〜する」だったら次のアクションが明確だとは限らないし、「〜が無い」とかでも十分に明確なこともあるだろう。むしろ、「課題」管理表に「すること」が並んでる方が、筆者にとっては遥かに日本語として気持ち悪い。

もし、具体的な次のアクションが決まらない限り課題管理表に挙げられないのなら、それまではその「問題」はどのようにして管理する(最低、記録しておく)のだろうか。
ひょっとして、どんな課題でも、即座に次のアクションを決めながら課題管理表に記入できるという前提があるのだろうか。
「課題」は解決の仕方、対処方法が1つとは限らないし、解決するコストが高ければ回避するしかないこともある。そんな場合、その課題は回避すると決まるまで課題管理表に書かないのだろうか。
課題というのは、対策をこれから考えるために、対策が空欄のままでも存在するのが当たり前だと思う。次のアクションが決まっていなくても、課題が報告、管理されないよりは報告、管理される方が良いと考えるのが普通であろう。
それに、次のアクションが明確になっていれば、それは課題ではなくてToDoなのではなかろうか。

という訳で、次のアクションが明確でなければ「課題」ではなくて「問題」だとか言うのは問題のすり替え、問題の先送りでしかないと思うのである。

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2014年09月28日

クリック、クリップ、フリック、フリップ

ここ2年くらいの間に、タッチパネル操作に関して「フリック」という言葉が現れたが、これの意味がぱっとわからない。というか、その表現に違和感があり、ぱっと理解したくない。「フリック入力」は、なぜ「スライド入力」ではいけないのか。

個人的に「フリック」が嫌な理由は、そもそも「フリック」という英単語に馴染みが無いことに加え、コンピューター関係で「クリック」「クリップ」「フリップ」と似たような用語が既に使われており、ややこしいからだ。「ショウガ」「ミョウガ」「ショウブ」とある所に「ミョウブ」が加わったり、「しらこ」「しらす」「たらこ」とある所に「たらす」が加わったり、「ゆるせない」「やるせない」「ゆるぎない」に「やるぎない」が加わったり、「めくる」「めいる」「めくるめく」に「めいるめく」が加わるようなものである。

「クリック」も英単語としては馴染みが無いが、「マウス」と同レベルに広まっている用語として諦めることができる。「クリップ」「フリップ」は英単語として知っている。「フリック」の出現は、ややこしいだけである。
願わくば、「フリック」という用語が廃れることだ。

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2015年01月28日

男性不妊因子の治療

筆者は、7月に精液検査というものをして、受精に繋がる精子がほぼ0という結果が出てしまった。 特に、受精の成功率に大きく関係するとされる、"PMSC A"の精子量が、下の表のように、0.0〜0.3×106/mlと極端に最低基準を下回っていたのである。
精液の質は日々の体調によって大きくばらつくので、結果が悪い場合は1ヶ月以内に再検査するのだが、それでも悪かった。

不妊治療(ART)では、自然妊娠がうまくできなければ、人工受精(AIH) → 体外受精(IVF) → 顕微授精(ICSI)、と順に「ステップアップ」する手段があるのだが、その最後の手段である顕微授精でも相当困難になるという、絶望的な数値であった。

男性不妊の原因の9割とされる「造精機能障害」である。
それから治療を続けた結果、半年でかなり改善したので、経緯を報告する。

検査結果の推移
検査項目WHOの
旧基準値
WHOの
新基準値
検査日単位
2014/7/47/119/2011/52015/1/17
精液量2.0以上1.5以上1.02.21.52.94.7ml
精子濃度20.0以上15.0以上12.59.41.717.783.0106/ml
運動精子濃度(MSC)1.41.61.39.044.8106/ml
高速前進(PMSC) A5.0以上0.00.31.26.441.5106/ml
低速前進(PMSC) B0.00.10.01.61.7106/ml
運動率(A+B+C)50以上11.217.0775154%
運動率(A+B)40以上0.04.3714552%
直進運動性 A25以上0.03.2713650%
直進運動性 B0.01.1092%
直進運動性 C11.212.7662%
精子自動性指数(SMI)80以上08???
※この間、年齢は40歳であった。
 7/11以前の検査は婦人科での検査。結果用紙の「高速前進(PMSC) A」が赤字(強調)であった。
 9/20以降の検査は泌尿器科での検査であり、検査項目が少ない。

以前から、精力というか男性ホルモンが低下してるっぽい自覚症状はあった。
35歳くらいから、いわゆる朝立ちが全く無くなった。
勃起力も次第に弱くなり、38歳くらいからか、完全に勃起することがほとんど無くなった。
2回目の鬱病のピークが34歳の頃で、その頃から、性欲が急速に低下した。
心療内科で処方された薬の中には、EDを引き起こす可能性があるとされるもの(ジェイゾロフト)が含まれており、4年後の症状がほぼ無くなった頃に、その薬から服用を停止したが、その薬の影響が無くなるとされる2ヶ月が経っても、何も改善しなかった。
なお、1回目の鬱病のピークは29歳の時で、その時はジェイゾロフトは飲まなかった。

1年前から、EDの治療を意識し、泌尿器科に相談して薬剤を処方してもらったり、独自に様々な取り組みをしたが、改善は見られなかった。その流れで、婦人科にて精液検査を受けた結果、冒頭の「特発性造精機能障害」が判明し、再度、泌尿器科に相談した。

不妊症とは、医学的な定義としては、正常な性交渉を2年間継続して妊娠に至らなければそう診断されるものである。その内、男性に(も)原因があるものを、男性不妊症と呼ぶ。 (筆者の場合、性交渉に至っていないので、厳密には男性不妊症には当たらない。)
男性不妊の原因の9割が造精機能障害であり、6割は原因不明の「特発性造精機能障害」とされ(参考文献[1])、改善する為の確実な方法は知られていない。また、研究の結果、原理的に特効薬は無いことが確実とされている(参考文献[2])。
造精機能障害には、次のような種類がある。

乏精子症
精子濃度がWHO基準値未満
高度乏精子症
精子濃度が5×106/ml未満
無精子症
精子濃度が0
精子無力症
精子運動率がWHO基準値以下

(目安として、ある病院では、大体、精子濃度が20〜30×106/ml以下なら人工受精、3×106/ml以下なら体外受精、1×106/ml以下なら顕微授精が適当、という基準にしているらしい[1]。 婦人科の医師からは、タイミング法等によって自然妊娠を目指すには、精子濃度が40×106/mlはあることが望ましいと言われた。当然、大半の男性の精子濃度はそれを上回っているし、運動率も50%を上回っている。)

これらの内、無精子症以外の場合、まず行われるのは、漢方やビタミン剤(B12やC)の処方である[1]。 処方される漢方薬には、「補中益気湯」や「八味地黄丸」などがある[2]。
補中益気湯
精子運動率の改善作用があるとされる。
八味地黄丸
精子数の増加作用があるとされる。
精子運動率が改善することもあるとの情報あり。
地黄というのがお腹に強烈らしく、腹痛を起こすこともある。

筆者は「乏精子症」と「精子無力症」に該当し、補中益気湯が処方された。
精子の形成は70日以上かかるので、漢方薬の服用は3ヶ月は続けるとのことだった。
それから、普段の生活で気を付けるべきこととして、以下を確認した。

  • ストレスが大敵
  • 適度な運動をする、但し股間を圧迫する自転車は好ましくない
  • 股間を暖め過ぎない、膝上でのノートパソコン使用は良くない
  • 喫煙は良くない
  • 薬によっては影響することもある
  • 禁欲期間は長過ぎないこと
  • バランスの良い食事
ネットでは、コーヒーの飲み過ぎも悪影響をもたらすようなことが書いてあったので、医師に聞いてみたが、それは関係ないとのことだった。

これを受けて、7/19から補中益気湯を飲み始め、それから2ヶ月くらい、雨の日以外は毎晩欠かさず3km程度のウォーキングを行った。
ストレスは、仕事をセーブするなどして、軽減するように努めた。
膝上でのノートパソコンや喫煙は、筆者は元々していない。問題となった薬も既に停止していた。
コーヒーは特に関係ないとのことだったが、念の為、毎日800ccは飲んでいたのを、500cc程度に減らした。

食事については、参考文献[3]に、以下の栄養分が必要と書いてあった。

  • ビタミンE
  • ビタミンB12
  • 亜鉛
  • セレン
  • アルギニン
元々、納豆を週5日、魚も週3日以上は食べていたので、ほぼ不足はしていないと思ったが、アルギニンの摂取量には自信が無かったので、すりごまを毎日食べるようにした。

なお、11月以降は寒くてウォーキングを中断したが、しばらくすると勃起力が下がった実感があり、少し再開するとすぐ回復した感じがした。運動の有無が調子を大きく上下させると感じたので、週末の昼間になるべく3kmくらいは歩くようにした。

その結果、2ヶ月後のデータは運動率から改善したと読んで良いかどうかわからない(この時だけ精子濃度が極端に低いので、検査対象の採取に問題があった可能性がある)が、4ヶ月後には精子濃度、運動率共に、WHOの新たな最低基準値を上回り、6ヶ月後には造精機能障害を脱したと言える水準まで回復した。

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2015年12月06日

スパコン「京」を目撃

昨日、神戸市他が主催する、一般向けセミナー「意外と知らない?暮らしを支えるスパコンの働き」に行ってきた。

その前の見学会で、スーパーコンピューター「京」を見てきた。

下の階でポスターの展示をゆっくり見てたら、「京」を見る時間が10分くらいしか無くなってしまった。
見学室に入ると、説明員の方が会場からの質問を受けていた。次々に質問がなされていて、
「京」は一般向けに時間貸ししていること(部分的に借りれる)、
「京」の100%を借りると一時間百数十万円であること、
「京」を100%使う用途も20以上あるが他の人が使えなくなるので月1〜2日に決めていること、
CPUはSPARCというやつ、
OSがLinuxであること、
「京」の候補地は最後に神戸と仙台に絞られ、インフラの利で神戸に決まったこと、
2020年運用開始予定のポスト「京」も今と同じ場所に作られること、
がわかった。

セミナーの開会の挨拶では、文部科学省の人がスパコン研究プロジェクトの必要性を熱く語っておられた。
「行政事業レビュー」で「数ある事業の中で最も説明されてこなかったのがスパコン事業だ」と厳しく追及された件は、実際には色々説明していたが、政治家に発せられたその一言だけをマスコミが取り上げてフォローしないから世間的にスパコン研究が無駄という印象になっているのが実態であること、なぜ「2位じゃダメなんでしょうか」の理由は、単純明快なので何度も言われてきたことだが、1位のものを製造する技術があって初めて国際的な競争力になるから、ときっちり説明された。

講演は4つなされた。セミナーは撮影禁止だったので、細かい内容は伏せるが、無難な概要と、筆者がした質問と講演者からの回答を記しておく。

1. 「シミュレーション事始め」
 シミュレーションするには、物理モデルを作って、四則演算のみのアルゴリズムにして、プログラムを作る、精度を上げるには解像度を上げる(シミュレーションする三次元的な位置を細かく取る)必要があり、3乗や4乗(三次元+時間)のオーダーで計算量が増えるのでスパコンが必要になる、スパコンの根幹の技術は複数台のコンピューターを接続する技術、という一般的な話。
Q:インターネット上の複数台のコンピューターを接続して並列計算を行う場合の接続技術とスパコン内のプロセッサーの接続技術との特徴的な違いは?
A:距離と遅延。隣のノードの計算結果が頻繁に必要になる場合はスパコンが有利。

2. 「『京』が拓く天気予報の未来」
 スパコンによるシミュレーションと、全方位レーダーによる高速で詳細な雨雲の観測などの最新の観測技術を組み合わせることによって、雨雲が無い状態から30分後に発生するゲリラ豪雨も10分や15分前に予測できるようになるなど、新たなことができるようになる可能性が色々あるという話。

3. 「世界最先端スパコンが変えるタイヤづくり」
 タイヤの分子構造を兵庫県にあるSPring-8で計測して「京」てシミュレーションすることによって、低転がり抵抗、高グリップ性能のタイヤの耐摩耗性能を倍にする方法を発見したという話。
Q:動的な物理モデルの正確さはどのようにして確認したのか、正確でなかった時はどうやって改良したのか?
A:やはり高性能な計測機器を用いて実物の動きを計測しながらモデルを作成している。

4. 「電気自動車高性能化への挑戦:スパコンと放射光が解き明かす電池の姿」
 SPring-8と「京」を用いることによって原子構造、電子構造のシミュレーションを実現し、充電式電池の性能を向上する構造を見つることができたという話。

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2016年07月05日

被写界深度の計算式を導いてみた

被写界深度というのは、レンズを通して見た映像の、ピントが合っているように見える、奥行き方向の範囲のことである。
昨年、フォトマスター検定という試験を受ける為に勉強した中で、被写界深度を求める式が何故このようになるのかがわからず、気になっていた。
先月、フォトマスター検定について講義する機会があったので、そのネタとして、被写界深度の式を導いてみた。


図1

まず、被写界深度が何故存在するかというと、ピントが合っていない距離の点は点でなく丸になって映る(ボケる)が、その丸(錯乱円)が十分に小さいと、ほとんどボケてるように見えないからである。
その十分に小さい錯乱円の直径=許容ボケをδとすると、フィルム(デジカメだとセンサー)上のδに対応して、光軸上のフィルム/センサーの前後に、その範囲に焦点を結ぶとピントが合って見える範囲=焦点深度が存在する。

図2

この焦点深度の幅を2εとすると、F値(絞り値)=レンズ焦点距離(f)÷レンズ口径(Φ)を使って、f >> εなのでε/δ = F、すなわちε = Fδと近似できる。
この焦点深度に対応する、被写体側の範囲が、被写界深度である。

ここで、「ガウスの結像公式」(以下、単に「結像公式」)というのを用いる。結像公式とは、凸レンズからa離れた位置から発せられる光が、凸レンズを通って反対側のb離れた位置に焦点を結ぶ時、aとbの関係を、レンズ焦点距離fを用いて、
\frac{1}{f}=\frac{1}{a}+\frac{1}{b}, Gaussian form of the lens equation
と表すものである。ちなみに、レンズの焦点距離とは、無限遠から来る光が焦点を結ぶ位置のことである。(上式でa=∞とするとb=fとなる)

この結像公式を用いて、焦点深度と被写界深度の関係を式にする。
図1のように、sをレンズから合焦位置までの距離、snを被写界の近点、sfを被写界の遠点、tをレンズからフィルム/センサーまでの距離とすると、

となる。これらの連立方程式を、tを消去して、snとsfについて解く。
(1)よりt=sf/(s-f)が得られるので、これを(2),(3)に代入すると、
s_n=\frac{(t+\epsilon)f}{(t+\epsilon)-f}=\frac{(\frac{sf}{s-f}+\epsilon)f}{(\frac{sf}{s-f}+\epsilon)-f}=\frac{(sf+\epsilon(s-f))f}{f^2+\epsilon(s-f)}
s_f=\frac{(t-\epsilon)f}{(t-\epsilon)-f}=\frac{(\frac{sf}{s-f}-\epsilon)f}{(\frac{sf}{s-f}-\epsilon)-f}=\frac{(sf-\epsilon(s-f))f}{f^2-\epsilon(s-f)}
が得られる。
ここで、s,f>>εなので、s±ε≈s, f±ε≈f, sf±ε2≈sfと近似できることを用いて、簡略化する。
s_n=\frac{(sf+\epsilon(s-f))f}{f^2+\epsilon(s-f)}=\frac{((s-\epsilon)(f+\epsilon)+\epsilon^2))f}{f(f-\epsilon)+\epsilon s}\approx\frac{sf^2}{f^2+\epsilon s}
s_f=\frac{(sf-\epsilon(s-f))f}{f^2-\epsilon(s-f)}=\frac{((s+\epsilon)(f-\epsilon)+\epsilon^2))f}{f(f+\epsilon)-\epsilon s}\approx\frac{sf^2}{f^2-\epsilon s}

これにε=Fδを代入すれば、被写界深度の近点と遠点を求める式になるのだが、フォトマスター検定の参考書では過焦点距離を用いた式になっているので、もう少し変形を進める。
過焦点距離とは、被写界深度の遠点が無限遠に届く、最短の撮影距離である。焦点深度と結像公式を用いて被写界深度の近点、遠点と同じ要領で、過焦点距離Hについても式を立てると、

となる。下の式からt=f+εが得られ、それを用いて上の式をHについて解くと、
H=\frac{tf}{t-f}=\frac{(f+\epsilon)f}{\epsilon}\approx\frac{f^2}{\epsilon}=\frac{f^2}{F\delta}
すなわち過焦点距離=レンズ焦点距離2÷(絞り値×許容ボケ)と求まる。これを用いてsn, sfをさらに整理する。
s_n\approx\frac{sf^2}{f^2+\epsilon s}=\frac{sf^2}{f^2+\frac{f^2}{H}s}=\frac{Hs}{H+s}
s_f\approx\frac{sf^2}{f^2-\epsilon s}=\frac{sf^2}{f^2-\frac{f^2}{H}s}=\frac{Hs}{H-s}

従って、
被写界近点=(過焦点距離×合焦距離)÷(過焦点距離+合焦距離)
被写界遠点=(過焦点距離×合焦距離)÷(過焦点距離−合焦距離)
である。

なお、過焦点距離の計算には許容ボケが必要になるが、許容ボケは通常、フィルムやセンサーの対角線長÷1300、が用いられる。
35mmフィルムなら、√(362+242)/1300≒0.03328 (≒1/30) mm、
フォーサーズ/マイクロフォーサーズなら√(17.32+132)/1300≒0.01665 (≒1/60) mm、である。

2016年11月08日

980

惜しい。

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