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社会 アーカイブ

2005年11月28日

What about the Iraqi children?

時代遅れであるが、以前にインターネットで話題になったという、あるアメリカの少女の反戦スピーチを、昨日読んだ。

日本で反戦スピーチというと、苦労してなさそうな輩が、効果を狙ってわざと純粋な子供のような素朴な疑問を無責任に投げかけたりする、いい人に思われたいだけの自己満足的なものであったり、いい人ぶることに酔いしれたいだけのものばかりで、大体その幼稚さに呆れてしまう。きれい事を並べるだけで、心に残るものには出会ったことが無い。

しかし、Charlotte Aldebronさん(当時13)が2003/2/15(イラク戦争直前)にアメリカ・メーン州で行ったスピーチは、全く質が異なる。話すためのスピーチでなく、人に理解させるための、人を動かすためのメッセージだ。
・What about the Iraqi children?
・What about the Iraqi children?
日本語訳1
日本語訳2

これを読んで、私は衝撃を受けた。確実に心に残った。電車の中で読んでいて、涙を流してしまった。
「イラクの子供と私はそんなに見た目は変わらないです。」「私をよーく見てください。あなた方が破壊しようとしているのは、ここにいる私です。」
「運が良ければ、私は一瞬で死ねるでしょう。」
「でも私はきっと運が良くないので、」「痛みに覆われながら絶望的な気分で死んでいくでしょう。」
「湾岸戦争で3歳で孤児になったアリは戦後、3年間、父親の墓を手で掘りながら、呼び続けたのです。『お父さんをここに閉じ込めた奴らはもう来ないよ、大丈夫、出て来て。』 違うよ、アリ。そいつらは今戻って来ようとしてるんだよ。」

これを読むと、イラク戦争は大義名分が無かったどころか、絶対やるべきでなかった、アメリカは人の心を持たない凶悪な殺人者だ、と思わざるを得ない。アメリカに対する、言葉で表現し切れない猛烈な怒りがこみ上げてくる。
多くの人々を動かしたこのスピーチは、アメリカの狂気にかき消され、ブッシュ大統領には届かなかったようだ。

心ある、まだ読んでない方は、ぜひ通して読んで頂きたい。

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2005年12月18日

焼却炉大国日本

ある雑誌で読んだのだが、世界の焼却炉の8割が日本にあるらしい。
外国はゴミを燃やさずに別の方法で処理しているのか?と思ってしまうが、ある意味その通りらしい。
外国では、ゴミは埋めて分解させる(堆肥化することを含む)が普通だ。日本は、プラスチック等の埋めて分解できないゴミが多い上、埋めて分解できるものも埋めない。ひたすら燃やしまくっている。

それを反省して、何もかも再利用しようという考え方を指す「ゼロ・エミッション」という言葉が時々聞かれるようになっているが、外国では「ゼロ・ウェイスト」という考え方の方がポピュラーである。
ゼロ・ウェイスト

やろうと思えば2020年にはゴミ焼却をゼロにできる、というのは、今の日本の状況からは想像することが非常に難しい。しかし、それが想像できないのは、日本が「焼却病」にかかっているからだと言われる。ゴミをいくら出しても燃やしてしまえばいいじゃないか、という考え方である。
今や日本には使い捨てを前提とした製品が溢れ返っており、ひょっとすると使い捨てこそが先進的な生活スタイルだと思っている人がいるかも知れない。それこそが、日本が「焼却病」にかかっている証拠だと言えよう。


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2006年01月20日

マネーゲーム

私は経済に関してど素人だ。株式市場というものが、素人も参加できる形で、なぜ今のように経済の中枢として巨大に存在できるのか、全くといっていいほど理解できない。その存在には、何の利益があるんだろう。これは、素人が日本経済を破壊し得る危険なシステムなのではないのか。証券市場に至っては、なぜそんなものが存在するのかすらわからない。

しかし、株式に関して、1つ理解している自信があることがある。株式市場は何も生産していないということだ。

では、株式で儲ける人は、なぜ儲けることが許されているのだろうか?
他人から金を奪ってるだけではないのか?

よくわからないが、おそらくこういうことだろう。
ある仕事を始めたい人が、元手が無くて始められないとする。そこで、誰かに出世払いでお金を借りる。そのお金を使って仕事を始めて、儲けたらお金を返す。儲けなかったら返さない。
これを大規模に同時に行っているのが、株式市場ではなかろうか。

ある人が投資を求めていれば、その人に投資をすることは、とてもいいことだ。その人の仕事を援助すること、ひいては、その人が行う生産に協力するということだ。その人の役に立つし、産業の役に立つのだから、その場合、投資したお金が還元されるのは正当な謝礼だと言える。
ある会社から、その会社の株を買うことにより、その会社に資金が入り、その会社が儲け、配当金をもらう。ここまでは理解できる。

私が理解できないのは、株の売買だ。
Aさんがある会社から株を買ったとする。そこで会社に投資された資金が入る。その株をBさんがAさんから買ったとする。会社の資金は変わらない。会社はAさんが投資した資金を元手に儲け、Bさんに配当金を渡す。
この場合、Bさんは誰かの役に立ったのか?

百歩譲ると、AさんとBさんが協力して投資した、とも思える。しかし、さらに理解できないのが、売り抜けだ。CさんがBさんから株を買い、短時間に株価が上がったら、Dさんに株を売る。Cさんは短時間で利益を得る。
Cさんは何の役に立ったのか???
Cさんがそのお金をもらうことを、神や仏は許すのか?
株式市場という名のお金が狂気のごとく飛び交う場所で、要領よくお金を横取りしただけではないのか?

そして、株式市場に参加するほとんどの人が、A/BさんでなくCさんとなることを狙っているのではないのか。

と思うから、私は株とか証券とかに興味が無い。
株式というものが、Cさんのような者の存在を許さないシステムになったら、経済の勉強しようと思っている。

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2006年02月11日

敬天愛人

理路整然と意見を言う人と、主張するために意見を言う人が居る。
意見は主張するものだ、と思う人は、後者の方が格好いいと思うだろうし、もしかすると本人がそういう人なのではないだろうか。しかも、多少屁理屈気味でも主張する内容が正しければいいのだ、と思っているのではないだろうか。ちょっとでも主張にマイナスになることには全く触れず、一方的な観点からしか話さなくても、それでいいと思ってるのではないか。
私は大っ嫌いだ。

私は直感的なアピールが無くても、インパクトが弱くても、理屈の通った意見が好きだ。というか、基本的にそれ以外は参考情報として読み聞きしておくだけで、意見として受け付けない。
意見を聞いて、すぐには理解できず、その結論を疑問に思う。本当だろうか、と、よく考える。色々考えた後、頭の中を整理して、もう1度その意見を思い起こす。その時に「なるほど!」と思う意見を、私は最も信じる。
一瞬で「なるほど!」と思わせる意見は怪しい。瞬間的に人をだますために(重要な情報を省いた)単純な話、印象的なキャッチフレーズを使っている可能性があるからだ。どこかの首相が常用するあれもそうだ。

イラクのサダム・フセイン元大統領について、今まで知らなかった色々なことを知った。日本ではほとんど知られていないことだ。
私が昔、フセインを悪者だと思っていたことを心底後悔した。アメリカが発する印象的なシンプルフレーズに乗せられていた。
この人は、敬天愛人の人、稀に見る平和主義者ではないか。
どう見ても、太平洋戦争前の日本より、アメリカの侮辱と挑発に耐えたのではないか。

遠くから善人を見極めるのは、非常に難しい。善人は自らを善人だと言わないからだ。誰かが「あいつは悪い奴だぞ」と言えば、それしか聞こえない。さらに、誰かが「あいつはいい奴だぞ」と言った人がイメージ作りに入れば、その善人がどこまでの善人かがわからなくなる。偽善的な笑顔を絶やさず、無難な綺麗事しか言わない人間が善人に見えてしまう。

鑑識眼と判別方法が必要だ。
私には人を見る目が無いので、私が信頼するのは他人の理路整然とした理屈だけだ。
そう決めて10年、今の所、裏切られたことは無い。その方式で良いと判断できた少数意見は大体、後に市民権を得ている。

なぜ理路整然とした意見に誤りが少ないのか。多面的に説明してなお、つき通せる嘘というのは稀だからだ。最低1つの別の角度から考えて矛盾が無いことを確認するだけでも、相当の数の嘘を、見破れないまでも信じなくて済む。

フセイン元大統領は、日本人に見直されてしかるべきだと思う。
どこかの「歴史は作るもの」という国とは違って、日本は真実が失われない国だ。この50年徐々に失われつつあるが、一本筋の通った誠実さが脈々と受け継がれている国だ。いずれ、現在はごく少数しか指摘していない矛盾が、全て覆されると信じたい。

2006年08月12日

平和な民を襲った悲劇

米国テキサス州で、高速道路の事故で、尊いペンギンの命が4つ奪われたらしい。
何たる悲劇であろうか。

しかし、残りの21匹は、集まって溝でじっとしていたそうであるから、さすがである。おそらく、最も危険から遠ざかって、危険が去るまで小さくなって待とうとしたのであろう。他の歩行可能な動物なら、そのまま徘徊を始め、次々に車に轢かれたに違いない。平和を好むペンギンの勝利である。

車にはねられた3匹のペンギンは、21匹に危険を知らせることができたのだろうか。彼らの死がペンギン死に、いや犬死にでなかったら、せめてもの救いである。

ロイターの記事
日本語訳(Exciteニュース)

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