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2006年01月 アーカイブ

2006年01月04日

十日市場町関連ページ

Weblog名に「十日市場」を冠しているのに、十日市場関連のエントリーが全然公開できていない。
ぼちぼち作っているのだが、なにぶんまだ筆者がここに住んで日が浅いので、地域の情報がよくわかっておらず、公開に至っていない。

とりあえず、十日市場関連のWebページを探してみたので、ここに記録しておく。
意外に少ないようだ。

「わが街」の十日市場駅ページ
十日市場ネット情報局

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2006年01月07日

奇妙な論理

2005年大晦日に放送された「ビートたけしの恐怖の大予言SP」を観て思ったことを書き留めておく。
毎年大晦日に放送されるこの番組においては、超常現象肯定派と否定派が議論を交わすが、どちらかが降参することは無い。なぜなら、否定派の大槻教授を始めとするまともな科学者は全て科学的に完全に反論することができるし、肯定派は今の科学が完璧でないとして耳を貸さないからである。

視聴者の大半は、否定派の方が正しいことを言っており、肯定派は狂っていると判断すると思う。ここ数年は、司会者のビートたけしも否定派寄りの科学的な発言をしているので、視聴者が肯定派の疑似科学(非科学、科学の振りをした嘘っぱち)に騙されることも無いと信じたい。

今回の放送を見ていて、疑似科学の支持者の典型的な発言がまたあったので、サンプルとして、ここに記録しておく。「国際未知能力研究会代表」の秋山氏の発言である。

秋山氏「一言言わせてもらうけど、炭素14(年代測定法)に問題を投げかけている考古学者もたくさん居るんですよ。(嘲笑しながら)それは、この人達の言ってることがね、学者の代表意見だと思われることは全くおかしいということ。」
大槻教授「その炭素14に学会でケチを付けているというか、疑問に思ってる人は誰?」
秋山氏「その炭素14のサンプルを一体どこからどのように」
大槻教授「だから誰なの、言ってるのは、学会で」
秋山氏「だから、たくさん居ます!」
大槻教授「どこの大学の誰?」
吉村作治氏「・・・を言いなさい」
秋山氏「あなた方に言う必要はないですよ!あなた方は原理主義者なんですから!否定することを前提の元で話を・・・」
大槻教授「だからその学者は誰だと言ってる。これに答えなさいよ!」
秋山氏「だから調べてごらんなさいよと言ってる」
大槻教授「だから知らないから今ここで言って、って言ってるんだよ。俺知らないから、学会で。」
吉村氏「反論した人がそれを示さないといけないですよ」
秋山氏「またその人達も圧力かけられるでしょ?」
大槻教授「かけないよ!かけないから言って」
秋山氏「いいですか、今までの科学的論説っていうのはですね、時の権威者が・・・」
大槻教授「(立ち上がって手帳にペンをスタンバイさせて)いや、だから誰なの!?言ってよ!」
秋山氏「だから科学者は誰がお金出してるんですか。」
吉村氏「ごまかすな!」
大槻教授「ごまかすなよ~。だから炭素14に疑問を投げてる人は誰なの?」
秋山氏「だから調べてごらんなさいって。科学者でしょ?僕は科学者じゃない」
大槻教授「いないよ!」
吉村氏「科学者じゃないのに科学に口を出すな!」
秋山氏「それが科学者の役割だと言ってるんだ」
吉村氏「バカ。口出すな」
秋山氏「ウルトラバカ!口出すなお前こそ!ふざけるな!帰れ!」


愚かもここに極まれり、である。
無知は犯罪だと言われることがあるが、それは場合によりである。科学の世界で犯罪なのは、無知を認めないことだ。
賢明な皆様は何が愚かかわかると思う。
(1)「~と言ってる人はたくさんいる」「誰?」「あなたが調べなさい(知らないあなたが悪い)」
 こんな論法が許されるならその場は嘘でも何でも言えてしまう。もし本当に調べられて居なかったと言われても、調べ方が悪いなどとゴネるのだろう。
(2)立証責任というものを理解していない。証拠が説明できないなら発言してはいけない。証拠を言う必要が無ければ、何でも言えてしまう。
(3)「あなた方は否定することを前提に」聞いてるから答えない、という態度。答えるだけ損だということを理由に答えない。これもそんなことが許されるなら何でも言えてしまう。実際、秋山氏の場合、確実に知らないと思われる(後述)が知らないと言わず、こんなのをもろに都合よく言い訳として使っている。
(4)ある一線以上は踏み込まず、根本的な議論は避けて、間違いを認める必要が無くしていること。
(5)炭素14を使った年代測定法は科学的に理論づけられており、理系だと高校で習う常識中の常識だ。しかも、複数の学問を支えている極めて重要な基礎技術だ。そんなものに(まともな理論で)問題を投げかける学者が現れたら、科学界を驚かせるビッグニュースになるから、理系の学者を含む識者数人が誰も知らないはずが無い。


全く話にならない愚かさであるが、困ったことにこんな発言で騙されてしまう人が世の中には少なからず存在するのだ。学者という権威に敢然と立ち向かってかっこいい、学者は説明できなかった、著名人が実名をさらして発言しているのだから嘘を言うはずが無い、などと思う人がいるのだ。

今回の秋山氏の発言は嘘だと見破るのは簡単だが、疑似科学(トンデモ、「と」などとも言う)を見破るのは、しばしば簡単ではない。同じ分野の学者でも、反証するのに大変苦労したりする。
何せ、最悪の決まり文句は「今の科学で理解できないからあり得ないというのは誤り、結論を急いではいけない」である。同番組に出演した大家、グラハム・ハンコックも、ほぼ同じ意味で「結論を急いではいけない」と発言した。ランダムな理論に既知の理論だけで対抗するのは容易ではない。実験的に得られた物理法則は、100%正しいことが証明された訳ではないことを理由に反論に使えないとする。ニュートン力学がアインシュタインによって完璧でないことが示されたこと、多くの識者の反論に動じなかったガリレオ・ガリレイが正しかったことが後世に示されたことなどを引き合いに出してくると、手がつけられない。いい加減なことも言い放題だ。

しかし、専門家でない我々一般人にとっては、疑似科学に騙されないコツがあるのだ。専門家は疑似科学を反証することが避けて通れないが、我々一般人は、以下のことに注意すればいい。
・使われる論法が何でも言えてしまう論法かどうかを考える
・その説がもし誤りなら科学的に誤りであることを示せるかどうか(反証可能かどうか)を考える

2点目は知らない人にはちょっとややこしいが、知っていると騙されないための強力な武器になる。
興味のある方は、「悪魔の証明」「オッカムの剃刀」「反証可能性」などのキーワードで調べて頂きたい。いずれも対「と」の強力な武器となる、とてもシンプルな概念だ。機会があれば、このweblogでもまた取り上げる。

参考文献:「奇妙な論理」マーティン・ガードナー著

なお、超常現象を肯定する研究家、評論家の全てが疑似科学の支持者ではないことを念の為申し上げておく。超常現象を科学的に研究している人も存在する。

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2006年01月12日

脳化社会への警告

1/9のNews23の「筑紫録」というコーナーに養老孟司さんが出ていて、興味深い話をしていたので、思ったことを書き留めておく。

養老孟司さんといえば「バカの壁」だろう。私にとっても愛読書の1つだ。人間の脳は、キャパシティにも理解力にも個人差はあるが、誰の脳にも限界はあるのだ。何もかもを覚えられる人間は居ないのは当然だが、何もかもを理解できる人間も滅多に居ないのだ。特定の分野に限っても、一個人が理解し尽くせる確率は極めて低いということだ。このことを意識することは、ある種の人間にとっては非常に重要なことだと考えている。情報を覚え切れなければその所在を知っておけばいい、理解し切れなければ理解できる人と繋がりを持てばいい。大抵の場合はその通りだろう。しかし、ある種の人間にはそうでない場合があると思う。そんな時のための「バカの壁」である。

養老さんは、自然と接しながら感覚で感じ取る社会ではなく、頭の中で考え作られた社会で人々が生きる社会を「脳化社会」と呼ぶ。

今の日本人は、大抵3代遡れば農民である。自然と深く接した人種である。農作物を育てるのも子を育てるのも同じで、自然において身に付けていたことである。その日本人が急速に「脳化社会」で生きるように変わっている。変化が激しすぎて、うまく対応できる訳が無い。例えば明治維新で社会がガラッと変わったが対応できたなどと比較しても、社会の変わり方が異なる。今起こっている変化は、人間が別の人間の環境に置かれる変化ではなく、人間が人間のでない環境に置かれる変化である。

今は子供がランドセルに発信機を付けられ、その行動がコンピューターで監視されているという。子供の安全のため、とか「脳化社会」の論理でいくら理屈をつけても、養老さんの言うようにそれは人間の手抜きである。コンピューターを使った方が安全、などと、いくら理屈をつけても、それは変わらない。普段実際に危険に遭遇しない子供は、そんな監視を自然な感覚でありがたいと思うだろうか。子供が「脳化社会」の論理を理解して染まって初めてありがたいと思うのではないだろうか。これで、自然に育まれた従来の人間とは異なる、「脳化社会」が作る人間ができあがるのである。この人間は、自然で育った従来の日本人とは違う人間なのだ。凶悪犯罪を犯す子供、キレる子供、ニートなど、これまであまり日本人に無かった人間が出現しても、全く不思議ではないのだ。「脳化社会」はどんな人間を作り出すのか、未知なのだ。今の子供が、その貴重なサンプルとなっているのだ。

養老さんは、人を見る目の喪失が、人の個性を失わせているという。例えば、教師が、生徒1人1人の特徴を識別できなくなっている。それにより生徒は、自分に個性が無いと感じる。
今の日本の若者がよくする「自分探し」も「脳化社会」が作ったものと言えるかも知れない。自然の中で生きた日本人は、自然や社会に適応しようとし、行き着いた居場所の違いこそが個性だった。「~村の誰々」「~会社の誰々」といった呼称がなぜ今よりも個性を表し得たのか、理屈で説明できる人は稀だろう。だから、「脳化社会」の現代では、社会に適応しようとしてどこかに行き着いた自分に個性があると思えない。「自分」の喪失、個性の埋没と考えてしまうのではなかろうか。

養老さんが教壇で「お前らの目に映ってる俺の姿は、1人1人違うだろう。」と言うと、「先生、それは些細な違いです」「それは屁理屈です」などと回答が返って来るという。養老さんは「じゃその些細な違いのどこからお前らの違いが出るんだ」と言う。そう、人は似た環境で生きても、環境ほど似た人間にならない。日本で育てばみな日本語を喋るが、みなが同じ語彙を知っている訳ではない。些細な違いの積み重ねが、違う人間を作る。それは個性ではないのか。

「脳化社会」、今の日本をうまく説明する言葉だと思った。
大体、人間が頭の中で作った社会が人間にとって最善の社会であるはずが無い。人間の頭は、よく言われるほど複雑なことを考えるようにはできていない。何事も単純化して考える傾向がある。だから、個人主義、拝金主義なんてのがすぐに蔓延する。頭の中で考えても、例えばなぜ他人を思いやらないといけないのか、なぜ人を殺してはいけないのか、なぜ生命は尊いのか、なぜ生きないといけないのか等が、自然に身に付く以上に理解できることは稀であろう。それと同じで、頭の中で考えれば、個人主義も拝金主義もとても単純で合理的なので受け入れ易いし、受け入れれば複雑なことは考えたくなくなる、思考の着地点となり易い。人間の脳は、ある程度納得すれば疑わない、局所解に陥りやすい性質があるのである。そんな脳で考えることなど知れてると思った方が賢明だろう。

2006年01月14日

No Cross No Crown

ある雑誌を読んでいて、墓碑に"No Cross No Crown"と書いてあった、というのを読んだ。("Cross"と"Crown"は絵で描かれている)
どういう意味だと思うか?「十字架も王冠も要らない」だと思わないだろうか。
アメリカ人でさえ、「キリスト教も王政もまっぴらだ」と解釈したらしい。

ネタはウィリアム・ペンという人が書いた"No Cross, No Crown"という本だったらしい。
本当の意味は上記の逆で、「十字架を避けては王冠は得られない」だそうだ。
とてもややこしい。
同様の用法による言葉は色々存在するらしい。
"No Pain, No Gain."(「虎穴に入らずんば虎児を得ず」)
"No guts, No glory."(東京シティ競馬)
"No music, No life."(タワーレコード渋谷)

さらに探し回ってみた。
"No challenge, No success."(安芸市役所)
"No justice, No peace."(ある日本語のWebページ)
"No pain, no palm; no thorns, no throne; no gall, no glory; no cross, no crown. "(William Penn)
"No sacrifice no victory"(あるWebページ)
"No love no God"(あるWebページ)
"No suffering, no inheritance."(あるWebページ)

色々調べてみた結果、なんとなく"No pain, no gain."以外は一般的でない造語だと思うが、どうか。

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2006年01月20日

マネーゲーム

私は経済に関してど素人だ。株式市場というものが、素人も参加できる形で、なぜ今のように経済の中枢として巨大に存在できるのか、全くといっていいほど理解できない。その存在には、何の利益があるんだろう。これは、素人が日本経済を破壊し得る危険なシステムなのではないのか。証券市場に至っては、なぜそんなものが存在するのかすらわからない。

しかし、株式に関して、1つ理解している自信があることがある。株式市場は何も生産していないということだ。

では、株式で儲ける人は、なぜ儲けることが許されているのだろうか?
他人から金を奪ってるだけではないのか?

よくわからないが、おそらくこういうことだろう。
ある仕事を始めたい人が、元手が無くて始められないとする。そこで、誰かに出世払いでお金を借りる。そのお金を使って仕事を始めて、儲けたらお金を返す。儲けなかったら返さない。
これを大規模に同時に行っているのが、株式市場ではなかろうか。

ある人が投資を求めていれば、その人に投資をすることは、とてもいいことだ。その人の仕事を援助すること、ひいては、その人が行う生産に協力するということだ。その人の役に立つし、産業の役に立つのだから、その場合、投資したお金が還元されるのは正当な謝礼だと言える。
ある会社から、その会社の株を買うことにより、その会社に資金が入り、その会社が儲け、配当金をもらう。ここまでは理解できる。

私が理解できないのは、株の売買だ。
Aさんがある会社から株を買ったとする。そこで会社に投資された資金が入る。その株をBさんがAさんから買ったとする。会社の資金は変わらない。会社はAさんが投資した資金を元手に儲け、Bさんに配当金を渡す。
この場合、Bさんは誰かの役に立ったのか?

百歩譲ると、AさんとBさんが協力して投資した、とも思える。しかし、さらに理解できないのが、売り抜けだ。CさんがBさんから株を買い、短時間に株価が上がったら、Dさんに株を売る。Cさんは短時間で利益を得る。
Cさんは何の役に立ったのか???
Cさんがそのお金をもらうことを、神や仏は許すのか?
株式市場という名のお金が狂気のごとく飛び交う場所で、要領よくお金を横取りしただけではないのか?

そして、株式市場に参加するほとんどの人が、A/BさんでなくCさんとなることを狙っているのではないのか。

と思うから、私は株とか証券とかに興味が無い。
株式というものが、Cさんのような者の存在を許さないシステムになったら、経済の勉強しようと思っている。

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2006年01月23日

Linuxがshutdownしない

ごく稀に、Linuxでshutdown -h nowコマンドを実行してもshutdownしないことがある。
前に色々やったらshutdownしてくれたことがあったが、今日は何をしても全く効かない。
Ctrl+Alt+Delキー、haltコマンド、rebootコマンド、"init 6"コマンドも効かない。
/dev/initctlの中身をinitプロセスが読んでないことを突き止めたが、telinit Qやtelinit Uや"kill -USR1 1"を実行しても、駄目だった。
何だこれは~

2006年01月24日

(Linux)SRPMパッケージの扱い方

RedHat系のLinuxを構築した人なら誰でも、RPMパッケージをインストールしたことはあり、インストールする方法は知っていると思う。
しかし、SRPMパッケージを扱える人は、意外に少ないのではないだろうか。

・SRPM aaa.src.rpmから全自動でRPMを作る方法
rpm --rebuild aaa.src.rpm
(オプションが無いというエラーが出る場合は、rpmbuild --rebuild aaa.src.rpm)
→ソース展開、コンパイルがなされ、RedHatの場合は/usr/src/redhat/RPMS/にRPMができる。

・SRPMをインストールする(ソース、specファイルを展開する)方法
rpm -ivh aaa.src.rpm
→RedHatの場合は、/usr/src/redhat/SOURCES以下にソースが、/usr/src/redhat/SPECS以下にspecファイルが展開される。

・インストールしたSRPMをコンパイルする方法
1. 必要があれば、/usr/src/redhat/SOURCES以下のソースを編集する
2. cd /usr/src/redhat/SPECS
3. 必要があれば、specファイル(aaa.spec)を適宜編集する
4. rpmbuild -ba aaa.spec
→RedHatの場合は、/usr/src/redhat/RPMS/にRPMができる。

・できたRPMをインストールする方法(普通のRPMのインストールと同じ)
rpm -ivh /usr/src/redhat/RPMS/aaa.rpm (名前はaaa.rpmとは限らない)


私も、半年前まではSRPMの使い方を知らなくて、インストールしたいソフトがRPMでなくSRPMでしか提供されてない場合は、諦めてtar.gz形式のソースを拾ってきて自力でコンパイルしていた。
しかし、半年前のある時、どうしてもSRPMをインストールしないといけないことが発生して、Webで検索したら、とても簡単であることが判明した。こんな簡単なことも調べずに、それまでにたくさんのSRPMを目にして、使い方がわからないからスルーしたことを、とても後悔した。

(参考)SRPMからプログラムをインストールするには

2006年01月30日

(Linux)VMWare+RedHat9.0でvmware.logが溢れる

VMWare 3.xでRedHat9.0を使うと、何らかの条件が揃った時に、VMWareが大量のログを吐いてしまうらしい。

私のPCでもカーネル再構築に伴ってそれが発生し、以下のようなログが、1分間に1000行のペースで吐かれるようになった。
------------------------------------------------
Jan 30 16:28:00: VMX|F(120):745 himem 0023:420d09fc
Jan 30 16:28:00: VMX|F(122):1189 eip=ffffe002
Jan 30 16:28:00: VMX|F(122):1189 eip=ffffe002
Jan 30 16:28:00: VMX|F(122):1189 eip=ffffe002
Jan 30 16:28:00: VMX|F(122):1189 eip=ffffe002
Jan 30 16:28:00: VMX|F(120):745 himem 0023:420d17c5
Jan 30 16:28:00: VMX|F(122):1189 eip=ffffe002
Jan 30 16:28:00: VMX|F(120):745 himem 0023:420ac7d9
Jan 30 16:28:00: VMX|F(120):745 himem 0023:420ac819
Jan 30 16:28:00: VMX|F(120):745 himem 0023:420d1733
------------------------------------------------
その結果、半日するとログが800Mを超えてしまった。(HDD溢れでログが止まっていた)

下記の参考ページ2によると、RedHat9.0の2.4.20カーネルに追加されている、2.5.xの機能を取り込む実験的なパッチ(native threading関係?)が悪さをしているらしい。

対処方法は、以下のどれかだそうだ。
(1) RedHat 9.0を使わない(実質これが推奨らしい)
(2) VMWareのログを無効にする
 方法:ゲストOSの構成ファイルに logging = "FALSE" という行を追加する
(3) nosysinfoオプションを付けてカーネルを起動する
 方法:grubを使ってる場合は、grub.confのkernel行の最後にnosysinfoを書き加える
 例:kernel /boot/vmlinuz-2.4.20-8.2.skas ro root=LABEL=/ nosysinfo

(3)を試した所、とりあえず大量のログは出なくなり、パフォーマンスが改善した。
VMWareがサポートしない何かをしてる可能性があるというのが気にはなるが…

参考Webページ)
1. http://software.groupbrowser.com/vmwarelog_file_gets_enormous-t60825.html
2. http://software.groupbrowser.com/Re_Log_file-t60890.html
3. http://www.vmware.com/community/thread.jspa?threadID=2045&tstart=165

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